境野米子の自然暮らし

築150年の茅葺きの古民家を修復し、暮らしはじめて16年。おいしい水が湧き、囲炉裏があって、四季折々の恵みにあふれる暮らしを楽しんでいます。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

マザーテレサの言葉から

私のビジネスカード
沈黙の実は祈り
祈りの実は信仰
信仰の実は愛
愛の実は奉仕
奉仕の実は平和


毎日、本当に大勢の方々が、コルカタのマザーハウスを訪れます
私がこの方々にお会いする時、
いつも私の名刺(ビジネス・カード)を差し上げます
そのカードには、こうあります

これは、ほんとうによいビジネスだと思いませんか?
人々はカードの意味を考えるようです
ときどき、意味を教えてくださいと言われます。

でも、わかるでしょ。
全ては祈りから始まるのです
その祈りは、私たちの心の静けさの中に生まれるのです。
お互いに、祈る必要を感じて
どのように祈りを見いだしたがという経験と、
その祈りの実は、
あなたの人生にとって何だったかということを、
分かち合うことができます。
スポンサーサイト

| ・毎日読む聖書 | 05:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

黙とうの日

昨日は雪。あまり積もらなかったのでほっとしています。
11日はやはり特別な日、夫がうかがった浪江の小学校、二本松にある仮設校舎で授業が行われていますが、600人超える生徒さんがいた学校も、生徒数が一人というクラスもあり、小さな小さな小学校です。
あいさつを頼まれた夫が「今日は何の日かな」と聞いたら、ある生徒さんが「黙とうの日です」と答えたそうです。福島では、あちこちで、長男が行った税務署でも、あの時間に黙とうが捧げられました。我が家は、亡くなった人はいませんでしたが、友人たちのご家族には、6人、3人と亡くなった人がいて、他人ごとではなく、つらい気持ちになります。
それでもみな、亡くなった人の分まで前を向いて歩いて行こうと、励まし合っています。

聖書のみ言葉に好き嫌いがあってどうするんだ!と思うのですが、やはりパウロの書簡が好きです。とりわけ故郷や同志たちと遠く離され、牢獄で鎖につながれながら、各地の教会に送った手紙には心を動かされずにおれません。
その中の一つ、ピリピ人への手紙、2-13~15
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。すべてのことをつぶやかず、疑わないでしなさい。それは、あなたがたが責められることのない純真な者となり、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。

星のように、邪悪な時代に輝き続けることができるよう、つぶやかず、疑わずに歩めるように、祈ります。

| ・毎日読む聖書 | 11:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

神は、あなたを心にかけておられる

マザーテレサの言葉から

「どのように祈りを学ぶのでしょう
祈ることを通しでです
もし、祈り方がわからないとすれば
祈りはとても難しいものです
祈りを学ぶように、お互いに助け合いましょう
神が愛するあなたを心にかけておられることを、
徹頭徹尾、信じきって祈りなさい
あなたが喜びで満ちあふれ
言葉なしでそれが伝わるほどに、
あなたを神にお任せしなさい」

全ての悲しみにある人、苦しんでいる人の上に、慰めがあるように
祈りたいと思います

| ・毎日読む聖書 | 17:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

わたしの力は弱いところに完全にあらわれる

「ところが、主が言われた。『私の恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』それだからキリストの力が私に宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」(Ⅱコリント 12:9)

今日の聖句は、
使徒のパウロの肉体に与えられたとげ、たぶん痛みがある病なのでしょうか。
その病を、痛みを取り除いてほしいと、三度も主に祈ったのに対して、神が答えたのが上記の聖句です。

痛み、傷、つらさ、苦しみ、後悔、それら私たちを襲う思い出したくない不幸の数々、神はそれらを取り除いてくれるのではなく、その中にこそ、主がいるのだという教え。
その教えを信じて生きていきましょう。弱さを、つらさ、苦しさを誇りにして生きていきたいものです。

今日は立春。春はもうすぐそこですが、
明日はまた大雪の予報です。もどかしいですね。待たれます。

大熊町から郡山に避難している鈴木二郎さんのところで、飯館村・愚真会のそば打ちがあり、参加してきます。
鈴木二郎さんは、80歳をこえていても、元気いっぱい。
郡山の避難している仮住まいに、そば道場を作り、「昔のことは昔のこと。いつまでもごちゃごちゃしてられない。楽しいぞい」と会うたびに、こちらが励まされます。
また昨日は、大玉村の老人会で講演させていただきましたが、大熊町から避難している85歳のおばあちゃん
「退屈だし、夫も何もすることがないので、詩吟を習うことにした。これから初めてのれんしゅうです」と言われました。
モーセは、80歳の時に神から与えらえた仕事がエジプトから民を連れ出すことでした。80歳からでも、85歳からでも決して遅くないと話してきました。がんばっぺ!!

| ・毎日読む聖書 | 10:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

彼は口を開かなかった

「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった」(イザヤ 53:7)

光はもう春なのに、雪は解けず、道路はガチガチです。
犬の散歩は一苦労、道路は所々凍っているので、怖くて田圃道にしたところ、全く雪が解けていなく、ズブズブと入り、雪山遭難を思い起こしました。運動靴でしたから、靴も靴下もぬれました。
春遠からじと、慰めています。
今日は節分、昨晩に食べたイワシの骨を柊と一緒に飾ります。厄除けです。厄はイエスに任せるにしても、ご先祖が春を待ち望んできた祈りを、この節分の行事に感じます。明日は立春。

今日の聖句は、亡くなった後藤さんの最期、全く言葉を出さなかったと聞きましたが、彼もこの聖句をかみしめていたのでしょうか。



| ・毎日読む聖書 | 06:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT