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境野米子の自然暮らし

築150年の茅葺きの古民家を修復し、暮らしはじめて16年。おいしい水が湧き、囲炉裏があって、四季折々の恵みにあふれる暮らしを楽しんでいます。

2011年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年08月

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浅草、ほうずき市に行ってきました。

 浅草、ほうずき市

韓国から帰国した長女と1歳の孫娘に会うために東京にきています。
昨日は、ほうずき市でにぎわう、浅草に行ってきました。
震災直後の浅草は火が消えたような寂しさでしたが、もう完全復活です。
外国人の観光客も多くいました。
「復興祈願」と書かれた旗や「がんばろう」のスローガンも目に入りましたが、
うだるような暑さの中で、押すな押すなの人でした。

 復興の兆しが見えない福島に暮らす身にとっては、複雑な心境です。
いつになったら、娘たちが「帰りたい」「帰りたい」と夢見ている福島に来てもらえるのか・・・
ヨチヨチ歩き、石を口に入れたり、葉や花に手を触れたりして目が離せない状態では、
まだまだ先のことと思えています。
 次女は4ヶ月の身重ですが、こちらにも2歳の男の子がいますので、
里帰り出産は無理となり、東京の産院を探しています。
 このように福島では、原発事故で何もかも変わってしまった、以前のように暮らせないストレスが、多くの人々を追い詰めています。

なぜ神は、こんなむごいことを平気で許されているのかと、
思う人も多いと思います。神なんかいないと思う人もますます増えるかもしれません。
でも今回の大震災に限らず、
神は、良心的な、よい人、正しい人と思われる人だから、津波や地震から救い、
悪い人は救わないとしてきていません。
よい人にも、悪い人にも雨を降らせ、雪を積もらせ、陽を輝かせています。

つまり、神の目と私たちの目が、頭が、考えが判断が違うのです。
神が何を良しとし、何を嫌われるのか、それが人間とは違うのです。

神が私たちに命令することは、隣人を愛すること、自分を愛するように愛すること、
また神は、神の上に自分を置き、神に頼らない生き方を何よりも嫌われます。

そうした聖書に書かれた大原則を思い起こすとき、
私たちが何をしたらいいのか、何に心を向けていくかが見えてくると思っています。
少なくても私にとっては、今もなお、この震災地獄を生き抜くために
聖書が頼りです。


http://www.senso-ji.jp/annual_event/shimanrokusennich.html
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