境野米子の自然暮らし

築150年の茅葺きの古民家を修復し、暮らしはじめて16年。おいしい水が湧き、囲炉裏があって、四季折々の恵みにあふれる暮らしを楽しんでいます。

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飯館村仮設住宅住民による、大雪被災者への炊き出し

大変な大雪で、我が家も閉じ込められ大変でした。
ご近所総出の雪かきで、道路を確保し、立ち往生の車をかき出して救い、
もうこれ以上の雪は・・・
と痛む腰をさすっています。
そんな状況の中、ラジオ福島の大和田アナウンサーからの情報が寄せられました。



東京電力福島第1原子力発電所の事故で、全村避難となっている飯舘村。

住民が避難生活を送っている福島市松川町の仮設住宅にも、容赦なく大雪が降り積もった。

除雪車も除雪用の機械もなく、住民の手作業だけが、生活路を確保する唯一の手段だった。

松川町第2仮設住宅には、飯舘村民207人が肩を寄せあって生きている。65歳以上が8割り。長泥地区(ながどろ)など、比較的放射線量の高い「帰還困難区域」の住民が多い。

2月16日(日曜)午前8時、比較的体力のある住民が中心になりスコップを持って除雪作業を行った。

仮設住宅は国道4号バイパスを見下ろす高台にある。

昨夜からの大雪で、道路は大渋滞。仮設住宅の除雪作業が終わった正午にも、車は全く動いていなかった。

この仮設住宅に住む、飯舘村婦人会会長の佐藤美喜子さんが第2仮設住宅自治会長の佐藤明康さんに言った。

渋滞中の車に炊き出しをして、おにぎりを配ろう」。

集会所には富山市の寺から贈られてきた米があった。

1斗5升の米を、2升炊きの炊飯器をフル回転させて炊きあげた。

25人が自宅から、梅干しと海苔を持ち寄った。

おにぎりは200個。自治会長の佐藤明康さんら4人が、渋滞で疲れきったドライバーに1つ1つ配って歩いた。

3日間、何も食べていないドライバーもいた。「この上の仮設住宅から来ました」と言うと、「そんな、皆さんこそ大変な避難生活をしているのに。もったいなくて頂けません」と丁寧におにぎりを断るドライバーもいた。

そんな時、佐藤さんは必言った。「私達は、日本中から支援してもらってきました。困った時はお互い様。ぜひ、私達の感謝の気持ちを受け取って欲しい」と。

何度も頭を下げる人、涙を流してお礼を言う人、佐藤さん達は寒さを忘れて、おにぎりを配って歩いた。

飯舘村には「までいに」という言葉がある。

「までい」とは、「手を抜かずに、丁寧に」と言う意味。

「手を抜くと、その結果手間がかかる事」を、原発事故が教えてくれた。

までいに生きてきた飯舘村の人達が、いつか必ず故郷へ帰れる事を願わずにはいられない。
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| ・大災害 | 04:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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