境野米子の自然暮らし

築150年の茅葺きの古民家を修復し、暮らしはじめて16年。おいしい水が湧き、囲炉裏があって、四季折々の恵みにあふれる暮らしを楽しんでいます。

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春の虫 踏むなせっかく 生きてきた

小学生俳人の 小林凛君
(和氣幸史郎 staramaterasu88@gmail.com 様からのメッセージより)

(1)“生きる希望は俳句を詠むこと”: そう綴る少年の俳句集が、 いま静かな感動の輪を広げている。 小林凛という俳号を持った少年は、 現在11歳。 小学3年生のときに初めて朝日新聞の名物投稿コーナー「朝日歌壇」に応募した「紅葉で 神が染めたる 天地かな」という句が大人に交じって入選。 その後も入選を繰り返し、 “天才児があらわれた”と評判を呼んだ。 

(2)他の句: 「いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨」 不登校の少年。 生きる希望は俳句を詠むこと。 春夏秋冬を詠んだ瑞々しい俳句とともに、 学校でいじめを受け、 不登校の生活を送っている。

→ 国の根本で、 この闇の深さを感じている輩は一人も存在しない。 従い、 改善などあり得ない。

(3)いじめは小学1年のころからはじまった。 低体重で生まれ、 幼稚園の卒園時には体格も平均に追いついたそうだが、 脚力や腕力は弱かった。 本人の証言によれば、 「からかわれ、 殴られ、 蹴られ、 時には“消えろ、 クズ!”とののしられた。 それが小5まで続いた」という。

→ いじめが“小5まで続いた” - 担任の先生も、 学校関係者も“いじめ”を知らない筈はない。 これが今の日本の社会であることを認知する必要がある。

(4)更に、 他の句。: 「いじめ受け 土手の蒲公英 一人つむ」 俳句で思いを表現するようになったのは、 幼稚園のとき。 母の史さんによれば「私や祖父母から、 俳句を教えたことはない」らしく、 テレビや絵本で俳句に出会ったそうだ。 同級生の女の子や保護者からいじめの実態を知らされたのは、 小学校に入学して間もなくの頃。 家族が学校に訴えてもとりつく島もなく、 2年生になってからも危険ないじめ行為が続き、 「自主休学」という選択を選んだという。

→ ここでも、 日本社会の縮図・学校の実体が窺がえる。

(5)そんな日々のなかでも、 凛くんは俳句をつくり続けた。 「影長し 竹馬のぼく と ピエロかな」「ブーメラン 返らず蝶と なりにけり」「万華鏡 小部屋に上がる 花火かな」(いずれも朝日歌壇で入選した作品)。 あるとき、 学校に俳句を見せたところ、 教師は「俳句だけじゃ食べていけませんので」と話し、 また別の教師は「おばあちゃんが半分作ってるのかと思っていました」と言ったという。

→ ここにも、 心に響かない教師の実体が窺がえる。

(6)ともに暮らす母と祖母は、 出来上がった俳句がたとえ駄作でも「秀作!」と褒め、 手を取り合って“喜びのダンス”を踊る。 「物心つくころから他の子よりもできないことの多い自分を感じている凛には、 他から認められることが何よりの教育」と考えているからである。 学校に期待できない以上、 子どもを守り、 感性をはぐくむのは家族しかいない。 「僕を支えてくれたのは、 俳句だった」と少年が綴る言葉には、 家族がいじめの対応を考えるときの、 ひとつのヒントがあるように思える。

(7)更に、 他の句。: 「春の虫 踏むなせっかく 生きてきた」。 凛くんが8歳のときに詠んだ俳句。 「願わくば、 いつか凛が教育現場で尊敬する“師”に出会ってくれる日の来ることを願う」と、 お母さんも物語っておられる。 

→ 凛くんは、 尊敬できる大人に成長されることと思う。 また、 今いじめと闘う子どもたちや親たちに「凛くんのメッセージ」が届くことを願う。
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