境野米子の自然暮らし

築150年の茅葺きの古民家を修復し、暮らしはじめて16年。おいしい水が湧き、囲炉裏があって、四季折々の恵みにあふれる暮らしを楽しんでいます。

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稲わらにセシウム濃度が高い理由

稲わらにセシウム濃度が高い理由

 牛肉の汚染原因は、飼料として与えられた稲わらと判明したようです。通常は野ざらしにしないはずの飼料用の稲わらが何故高濃度に汚染されたのか。MSN産経ニュースで解説されていました。
**************

次々に高濃度の放射性セシウムが検出される飼料の稲わら。16日には、福島県郡山市の農家に残っていた稲わらから1キロ当たり50万ベクレルもの放射性セシウムが検出された。相馬市の農家からも、宮城県大崎市から納入された稲わらからも高い値が検出されたという。なぜ、これほど広範囲で、稲わらから放射性物質が見つかるのか。
 農林水産省によると、稲わらは通常、秋のコメの収穫時に乾燥させ、倉庫などにしまって使用する。だが、今回基準を超える放射性セシウムが検出された稲わらは、秋の収穫時から水田に野ざらしになっており、3月の原発事故後に集められていた。
 「雨にさらされた稲わらは、栄養分が抜けカビが生えるため、飼料用としては勧められないやり方だ」と農水省担当者。しかし、収穫期に雨が続くなど乾燥が進まない場合は、まれに水田に置いたまま冬を越すこともあるという。
 水田に置かれたままだった稲わらは「事故直後の放射性物質が含まれた雨をもろに浴びた」(農水省)とみられる。さらに、放置された稲わらを集める際、土の表面に落ちた放射性セシウムをこそげ取った可能性もあるという。
 放射性物質は風で飛ばされ、降る雨で地面に落ちる。今回、高濃度の放射性セシウムが検出された地域は原発から遠く離れているが、天候が影響したとみられる。立命館大の安斎育郎名誉教授(放射線防護学)は「3月の水素爆発時に出た放射性物質が、雨が降ったときに、昨秋に収穫した稲わらにホットスポット的に落ち、中に入っていったのではないか」と指摘する。
 さらに、稲わらは乾燥している。学習院大の村松康行教授(放射化学)は「軽いので、お茶と同じで重さあたりの濃度が濃くなってしまう。表面積も広く、付着しやすい」と説明する。
 ただ、安斎名誉教授によると、50万ベクレルの稲わらを毎日1キロ、4カ月食べ続けた牛の肉の放射性セシウムは1キロ当たり約6万ベクレル。人間が200グラム食べても内部被曝(ひばく)は0・2ミリシーベルトで「健康に被害が出る程度ではない」(安斎名誉教授)という。
 村松教授は「牛の体内からは時間とともに放射性セシウムが排出され、30~40日で半分になるという報告もある。今秋に収穫した後の稲わらは土壌から吸収した放射性セシウムを含むので、餌として与えるなら、対策も必要だ」と訴える。

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COMMENT

稲藁汚染

稲藁の高濃度汚染の理由

牛肉のセシウム汚染が大問題になっている。
原因は餌として与えられた汚染された稲藁である。

問題はその稲藁の汚染レベルである。宮城県内でさえ場所によって稲藁1kgあたり50万ベクレル超の汚染である。
では、何故にそれほど高濃度の汚染が広がったのか?それを稲作の現場サイドから検証してみよう。
稲藁の高濃度汚染についてさまざまな専門家からの理由付けがあるようだが、いかんせん現場を知らない専門家が見当外れのご託宣をならべているようだ。
例えば、放射能拡散以後、稲藁を集めるときに土をこそげ取った可能性があるとか、ホットスポット的に稲藁に落ちたとか、またまた稲藁が乾燥していて軽いので重量あたりの汚染濃度が高くなるとか、表面積が広くて付着しやすいなどなど。
えらい先生たちは田圃に稲藁がどのような状態であったのかなどをまったく知らないようだ。

まず、田圃から米を収穫するときは米収穫に特化したコンバインなる農業機械を使用する。コンバインは稲を根元から刈り取り、稲の上部の籾を脱穀しながら下部の稲藁を田圃に平均的に撒き散らしながら刈り進む。稲藁は田圃の上に撒き散らされて天日乾燥され、後日専用の藁を集める機械で集められる。普通はその作業は収穫した年に行われるのだが作業の進度具合とか収穫以後の天候の推移により、年明けまで持ち越されることもある。
今回の高濃度汚染の稲藁はあの水素爆発による汚染以降に集められた稲藁であった。
汚染される以前ににおいてすでに稲藁は乾燥状態であった。
その乾燥した稲藁は10a(1000㎡)あたり500kgが平均的な量である。つまり500g/㎡である。
この説明の時点でわかると思うが、1kgの稲藁は2㎡の面積の中に散らばっている。
さらに、散らばった稲藁の間から田圃の地面は見えないほどに散らばっているのだ。稲藁はほとんど田圃の地表面を覆いつくしているのである。

簡単に言えば田圃の汚染レベルをベクレル/kgからベクレル/㎡単位に直してやれば稲藁の汚染レベルは1kgあたり2㎡分のベクレル/㎡そのままである。つまり2×nベクレル/㎡となる。
ここ、福島県伊達市での田んぼ土壌汚染レベルは福島県に問い合わせるとすぐに教えてもらえた。高いところで4000ベクレル/kg から低いところで1300ベクレル/kgとのことだった。国の基準によれば田圃の汚染レベルが5000ベクレルを超えていればその年の稲の作付けはご遠慮願いますとのお達しである。

農地の汚染は農地土壌をベクレル/kgで表している。その計測法は直径5cmの円筒形状の筒を地面に差し込んで深さ15cmまでの土壌を試料として取り出し、土壌1kgあたりのベクレル数を計測するとのことだった。その場合に土壌の比重を1として1000cc分の土壌のベクレル数を計測する。
さて、その場合に1000cc分の土壌は深さが15cmなら地表面の面積はいくらか?
    S=1000/15 の式が成り立つ 結果66.66666平方cmである。
つまり、66.67平方cmに降り注いだ放射性物質のベクレル数が土壌1kgあたりのベクレル数ということになる。
それを1㎡当たりの汚染に直してやるには  10000(c㎡)/66.67(c㎡)=149.99となり、kgベクレルを150倍すれば㎡ベクレルに換算できた事になるはず。
ここで確認しておくが、稲藁1kgはほぼ2㎡に散らばっているので、2㎡分の汚染レベルである。
結果として、伊達市の高濃度汚染田圃土壌4000ベクレル/kgの田圃に残された稲藁をあの日以降に集めれば4000×150×2(㎡分)=1200000(120万)ベクレル/kgの汚染となる。
さらに低濃度汚染の1300ベクレル/kgなら390000ベクレル/kgの汚染稲藁となる。

この程度の汚染レベルは福島県のみならず各県に広がっていると考えられるのだ。
また、乾燥した稲藁が他の農産物などと比べても汚染濃度が高いのは稲藁の塩基置換容量が高いのではないかと思われる。
それ故、プラスの電荷をもつセシウムなどはがっちりと稲藁に取り込まれてしまい雨にあたっても抜けないのではないだろうか

| 三品一成 | 2011/07/29 20:14 | URL |

Re: 稲藁汚染

コメント感謝。ブログに載せましたが、お名前や県名、肩書きなど、差し支えのない範囲でお寄せください。またそれらも掲載してもよろしいでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。

| MEME | 2011/07/30 05:23 | URL |

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| | 2011/08/06 21:28 | |

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。

| Sakaino Komeko | 2011/08/07 05:27 | URL |

放射能の恐怖
音も無く忍び寄る放射能。
放射能はどうして怖いのだろう?
怖いのは当たり前です。なぜなら大量に浴びれば死にます。
少しでも浴びれば発癌リスクが高まります。
ですから、放射能から逃れるのが人間としての当然の行動なのです。
では、死ぬほどの放射能とはどれほどか?発癌のリスクはどれほどか?
事故のあった福島原発1,2号機の間で、極めて高い放射線量が測定されたとのニュースは8月1日でした。
その放射線量は10シーベルト/アワーとのことでした。単位がmなら10000mシーベルト/アワー。μなら10000000μシーベルト/アワーです。
人が放射線を浴びると様々な症状が現れます。人が死に至る線量は4シーベルトです。正確には4000mシーベルト/アワーの線量を1時間浴びれば1ヶ月以内に半数の人が死に至ります。10シーベルト/アワーはその線量の2倍以上です。

かって、大気圏内での核実験が華々しく?各国で行われていた頃、よく言われたことに、雨に当たると放射能で禿げるぞと大人から脅されたものです。
さて、その頭髪が抜け落ちる線量は3000mシーベルトを短時間に浴びることですが、その脱毛は一時的な現象だということです。
短時間における被曝量で
2000mシーベルトなら長期的な白血球の減少。
1500mシーベルトで、半数の人が放射線宿酔い(二日酔いの状態)
1000mシーベルトで、吐き気、倦怠感、リンパ球の著しい減少
500mシーベルトで、リンパ球の一時的な減少。 
250mシーベルト以下ではほとんど臨床症状がでない。
ということです。
これらの値に対する諸症状は広島、長崎での被爆及び被曝者の疫学的調査による統計値によるものだそうです。
上記はある値以上の被曝があればそれに見合った諸症状が現れることです。
このようにある一定の値を閾値(しきい値)というわけです。つまり敷居を越せばこうなるぞとの概念です。
枝野官房長官が、よく言う「直ちに健康に影響がでるものではない」の決め台詞はその臨床症状が出ない250mシーベルトの調査統計値よりもずっと低い値であるのが決め台詞の根拠というわけでしょう。
ですが、臨床症状の出ない250mシーベルト以下の被曝量健康リスクは?
福島原発による放射能問題のその大半(すべて?)は一定以上の被曝でああなる、こうなるではありません。
その考え方は
放射線の被曝量がゼロならば健康リスクもゼロである。
ゼロを基点として、
疫学統計上、長期的累積被曝量(年間)が100mから200mシーベルトにおいて発癌確率が0.06上昇するとの統計値を見据えて、ゼロ基点から直線的に発癌確率が上昇する。との考え方によるものです。
補足しますが、0.06の上昇率の統計母体は老若男女すべての人です
さて、その考え方によれば被曝量は少なければ少ないほど良いとの考え方はまったく正しいと思われます。誰だってそう思います。

ここで、ちょっと説明します。
発癌確率が0.06の上昇と書きましたが、それは6パーセント上昇の意味ではありません。一般的日本人が癌の発症する割合を1とした場合に1.06になるとの考え方です。ついでに書きますと、日本人の発癌確率はほぼ50パーセントであり、癌でなくなる人がほぼ30パーセントとのことです。それは日本人の半数が癌になり、癌になった人の6割が癌で亡くなり、4割の人は癌になってもその他の病気で亡くなるとの統計値です。

さて、いま現在フクシマの真の問題は何か?
通常の生活を営んでいる場合、自然放射線と人為的な放射線被曝があります。
自然放射線による年間被曝量は2.4mシーベルト(国際的な平均値) プラス 人為的なCTスキャンとかレントゲン撮影とか国際線の飛行機便フライトで浴びる宇宙線などで1mシーベルト年間被曝ということです。
そこに今回の原発からの放射能汚染による被曝です。
それは余計な、浴びなくてもよかった線量です。その余計な被曝線量から逃げるか否かがフクシマ県人の問題になっているわけです。

| 三品一成 | 2011/08/09 20:37 | URL |

Re: タイトルなし

三品様
いつもコメントありがとうございます。
目に見えないものの恐怖と日々戦いを強いられている県民。
腹立たしくもあり、理不尽でもあり、情けなくもあります。
30年、長い長い間続くこの状態。私たちは、もう死んでしまうわけですが、子どもたちは本当に不憫でなりません。

| Sakaino Komeko | 2011/08/10 10:22 | URL |

農地の除染現場サイドから

田畑の放射能除染の一つの方法として、表土5cmの土壌を削り取る事を有効な除染法であると新聞に出ていた。
なるほどね~セシウムは土壌と固く結びついて降雨にあっても簡単には流れてくれないらしい。ならば、固く結びついた土壌ともどもに削り取ってしまえば除染できるはず。すべてのセシウムが土壌5cmに留まっているわけではないが90%のセシウムが除染できるそうだ。
表土5cmを剥ぎ取れば10a(1000平米)当たり、50立米の汚染土壌が発生するわけだが、それをどのように処理するかが大問題でもある。
どこかに運んで捨てるわけにいかないのは誰にでも想像がつくが、田畑一枚ごとに隅っこに積み上げるしかないのだろう。
問題は、その積み上げた汚染土壌をいつまで置くかだが、時間の経過により汚染濃度5000ベクレル/kgを下回るまで積み上げておくしかないと思う。

ある汚染農地があったとして、その汚染レベルが15000ベクレル/kgだったとする。その農地の表土5cmを削り取ればどうなるか?机上検証してみよう。
まず、大前提の15000ベクレル/kgとは?
農地の放射能汚染計測のやり方から考えなければならない。表土から15cm深さまでの土壌を測定するために、面積当たりの汚染ベクレルと比較するとかなり小さな値になる。であるから、面積ベクレルを求める。はしょって書くが、農地15000ベクレル/kgの汚染農地の面積汚染は2250000ベクレル/平米にもなる。しかし、剥ぎ取った表土はそれほどには高くはならない。いちおう、90パーセント濃度として、表土5cmとすれば、40500ベクレル/kgの汚染レベルの廃土となるのだが、問題はこれからである。ほぼ40000ベクレルの汚染土壌はいつになったら5000ベクレル以下になるのかは半減期から求められる。半減期が3回過ぎればみごと5000ベクレル程度になるが、90年の時が流れるのだ。
現実には降雨による流出(現実的には拡散でもある)などにより農地の半減期は8年から28年程度だということだ。仮に25年とすれば75年間、畑や田圃の片隅に置かねばならない。
まあ、それも選択肢の一つだと思うが、それほどいい方法ではないと思われる。
一つの提案であるのだが、考え方を変えて放射能の影響を小さくする方法がある。表層土と深層土の入れ替え法である。
トラクターによる土を耕す方法のひとつであるプラウ耕で、表土と深層土との天地返しで表土を下に、深土を上に反転させる耕運法である。深さはプラウの農機によるが、45センチ程度に反転させることが出来る。もっとも、完全な反転ではないが、3000ベクレル/kg以下になるだろうと思われる。しかも、経費は極端に安上がりでもある。10000~15000円/10a
程度だろう。
さらに、ユンボでの天地返しである。この方法は農地が連作障害などで作柄が悪くなったときに行う事が多い。この方法は表土と深層土の入れ替えを50センチ以上、1m深さにでも行う事ができる。当然、コストも増すが、かなり放射能の汚染度を下げることができるはずである。
問題がないわけではないが、上記の方法はともに畑に適した方法であり、田圃にやるにはその後にローラーなどで転圧して土壌を固めないと農機が入れなくなってしまう。(ぬかるんでしまう)
汚染土を除外するわけではないので、作物の根の張る深さによって適さない作物もあると思われるがコスト的にはまったく安上がりであり、以後の問題も生じない(積み上げた土壌の扱いなど)
それにしても、どうして除染の研究部門などでは現場サイドの意見を聞かないのだろう?ノーミンは馬鹿だとでも思っているのだろうか?



| 三品一成 | 2011/08/21 18:40 | URL |

食った放射能
あの時以来、伊達ノーミンとして放射能に汚染された野菜や果物などを食べてきた。さらに農作業を通じて汚染された田畑から浴びる放射線量はどれくらいになるのだろう。去年産の備蓄米は今年の10月には底を突き、本年の放射能を浴びた田圃から採れた米を食することになる。
それらをどのように理解認識して具体的な数字に換えて健康へのリスク程度を考えるか?

フクシマ第一原発水素爆発によって、吹き上げられた各種の核種は冬季として運の悪い風向きにより北東方向へと拡散し、降雨降雪により地上に舞い降りた。
原発から50km以上離れている伊達市の農産物も汚染をまぬがれなかった。
つまりは、原子炉建屋の水素爆発により、放射性物質は種々の微小物質に付着して、上空に舞い上がり、当時(3月)の風向きではあまりない南東からの風により北西方向へと流れて行き、降雨降雪とともに地上は汚染された。
さて、汚染された農産物の計測汚染量から出荷停止のお達しがあるまでにはある程度のタイムラグがあった。
当然、少量ではあっても出荷されたものもあれば、地元で消費されたものもあった。汚染の実態を知りえた後もそれがどうしたと食べた野菜もあった。
食べた汚染野菜は汚染濃度の高いものではほうれん草とか、小松菜、露地のブロッコリー、ウルイ、など、汚染レベルの低い野菜ではハウスのさやえんどう、スナップえんどう、キュウリにトマトにその他ほとんどの野菜類。
私が食べる放射能はあの時から1年間にどれほどになるのか予測してみたい。
私個人の消費量として高濃度?汚染野菜の摂取量は15kg程度であり、低濃度汚染野菜を毎日400gくらい?摂取しながら365日間の予測。今年10月からは新米汚染米を3月半ばまでの半年間摂取するとして内部被曝量を推測してみよう。
まことに勝手ながら高濃度汚染レベルを500ベクレル/kgとして、低濃度汚染レベルを50ベクレル/kgとする。この値は実測した(発表された)値よりも若干高めに考えた。まずは取り込んだ放射能核種をセシウムとして、摂取量は500ベクレル×15kg=7500ベクレルと40ベクレル×0.4kg×365日=5840ベクレル。総量で13340ベクレルとなりました。私の野菜による放射能汚染量は一年間で13340ベクレルと予想。
人体内の放射能汚染量を内部被曝に置き換えてシーベルト換算すると、
13340×0.013=173.42μシーベルト/年間となります。
さらに、今年10月から来年4月までの6ヶ月間食べる主食の米を考えます。
予想されるできるだけ正確な予測値を求めます。
私の地区に近い田圃土壌の汚染量1300ベクレル/kgから考察すると、稲の放射能吸収係数(0.00021~0.012)から多めに予測して0.01(前には0.036とした)として計算すると
私の食べる伊達市産米汚染は1300ベクレル/kg×0.01=13ベクレル/kgとなりました。
一キロあたり13ベクレルの汚染米を毎日300g食べるだろうとの予測から半年間は0.3kg×183日=54.9kg  汚染量は54.9×13=713.7ベクレル
米からの放射能内部汚染量は713.7ですので内部被曝では713.7×0.013=9.2781μシーベルト。米と野菜で合計9.2781+173.42≒182.7μシーベルト。
182.7μシーベルトは0.1827mシーベルト(年間)の内部被曝となりました。

その値をどう判断するかの前に核種ヨウ素の被曝量が出ていません。
ヨウ素汚染は半減期(わずか8日)から見て本年産米にはありませんから放射能拡散初期に食べた高濃度汚染野菜に含まれていたと考えられます。
水素爆発して降雨降雪後の最高レベルが伊達市において10μシーベルト/hour
ではあるが、あくまでヨウ素とセシウムの合算値でもあります。
(福島市の15日における放射線量が18μシーベルト)とすれば、その地面の平米ベクレル数は驚くほど高いと思われます。(計算上330万ベクレル/平米)
当時の野菜は根からの吸収ではなく直接葉っぱに降り注いだ放射性物質により汚染されたものと考えられます。つまり洗えば落ちるし、茹でればさらに。
ほうれん草が1平米に生えている時の生体重が5kg程度ならそのほうれん草は66万ベクレル/kgのヨウ素汚染ということになります。
汚染された初期なら洗って茹でれば大部分のヨウ素は落ちてしまうと思うので1割の汚染量として6万ベクレル/kgの汚染ほうれん草を食べた事になります。その程度のヨウ素汚染野菜を15kg食べたら60000×15=900000ベクレルです。ひぇ~やばいではないかい。ではそれをシーベルト換算すると900000×0.022(ヨウ素による被曝はセシウムによる被曝よりも影響が大きい)=19800μシーベルトである。
ほぼ20mシーベルトとなる。実にビミョーな被曝量でもある。しかし、その前提がかなり大雑把すぎるが、ヨウ素による内部被曝が20mシーベルトとは出来すぎた被曝量かもしれない。私のように気にしないでぱくぱく汚染野菜を食べた人はそんなに多くないと思われます。多分伊達市民の中でも私の内部被曝量は多いほうだと思います。
ヨウ素による内部被曝は大部分が甲状腺に集まっていると考えられます。もしも私が大陸の内部に住みワカメや昆布を食べる食習慣がなければその大部分が私の甲状腺に集積してその細胞を傷つけ続けるることになります。しかし、私は日本人なのでしかも味噌汁好きなのでかなり海産物を食べていたはずです。ならば放射性ヨウ素は私の甲状腺にはあまり入れなかったとの希望的な予測も可能です。
では、私が食べた放射能はどれほどか?
かなり大雑把ではありますが、結論を出します。

原発事故以後の1年間に予想される私の内部被曝量はかなり大雑把ですが、

一つ、ヨウ素は20mシーベルト(既に受けた積算値、現在はほぼ0)
二つ、セシウムは0.18mシーベルト

この値(ヨウ素値)は放射線被曝による癌の発生確率上昇の統計値においては確率上昇が見られる値に近い値であるとはなんともいやはやです。
しかし、この文章を書いている(打っている)いま、私は日本酒換算2合強の量を晩酌しています。つまり習慣的な飲酒です。それは発癌確率において年間放射線被曝量20mシーベルトよりもはるかに高いと言われます。
だとしても、フクシマ原発問題がなければ浴びる必要のない被曝は損した気分になります。
原発由来の放射線を避けようとすれば発癌確率リスク以外の多種のリスクを背負う事になり、論理的行動選択はリスク数値の比較により為されます。それがもっとも肝心な行動決定の要素でもあります。
それは論理的に考察すればですが、放射線の被爆量は少なければ少ないほど良いとのセオリーに従えばリスク比較する前に逃げろになります。
福島民報の8月3日付け新聞のコラム欄にロシアの博士による日本の今回の原発事故に関しての提言が載っていました。
チェリノブイリ事故のもっとも大きな問題は放射能被曝による健康問題よりもその4年後の被曝者認定の法律が出来た事による社会的な別の問題がずっと大きかったと言っています。つまり、汚染を怖がり忌避する感情が汚染そのものよりも問題を大きくしたとのことです。さらに「大切なのは結論を何らかの政治的な意図や感情的なものから導き出すことではなく科学的根拠に基づき行う事だ」と。

| 三品一成 | 2011/08/21 21:28 | URL |

Re: タイトルなし

コメント感謝。
ブログに載せました。ご確認ください。

| Sakaino Komeko | 2011/08/22 04:49 | URL |

学校校庭除染

校庭放射能除染に関して
ここ伊達市においてちょっとした問題がある。
この地区は平地であり地下水は豊富にあり、どこでも4~5m程度掘れば地下水脈に当たる。現在は市の水道が普及していて水源をダム湖に求めた水道が張り巡らされている。張り巡らされてはいるが、市水道を生活用水に使っている家庭は100パーセント(市水道普及率)ではない。市に聞いたわけではないが多分50パーセント程度ではないだろうか。それ以外の家庭では以前の簡易水道を使用しているのが多いのだ。簡易水道とは地下水を汲み上げて10~30軒へ配水する規模の組合組織である。地下水利用簡易水道の場合、その水質に問題があって、鉄分とかマンガン、硝酸態窒素もしくは亜硝酸態窒素の含有量が水道水の水質基準にすれすれの状態であることが多かった。幸い、有機質分とか細菌数などは十分に基準を満たしていた。
前文が長すぎたのではしょって書くが市の水道に加入すると、水道代が簡易水道料金の10倍近くもかかってしまうので、簡易水道の水を昔どおり使う家庭が多かった。わずか地下数メートルの地下水脈である。
そこに学校の校庭放射能除染である。地表面の5cmの校庭の土を剥ぎ取り、校庭の端っこに穴を掘って地下浸透を防ぐ防水シートを張ってそこに廃土を積み上げるのだが、そこに近い水源地(地下水汲み上げ地)をもつ簡易水道組合は気が気でなくなった。
化学的に固く土と結びついたセシウムが地下水を汚染することはほとんどないだろうが、やはり心配なのだろう。
校庭の除染法が問題といえば問題とも言える。校庭の広さは学校によっていろいろだが、広いところでは100m四方つまり10000平米あるところもある。その廃土量は地表5cmでも500立米にもなる。なによりもどこへも持っていけない。校庭の片隅などと言える量でもない。しかもそれはセシウムの汚染レベルが高いのだ。薄くて広かった放射線源を濃くして狭いところにおしやっただけの除染法と言えなくもない。その小高い汚染土の上で遊ぶわけにもいかないし、ましてや相撲も取れない。ひたすら近づかないようにするだけだ。
誰もが思いつく方法だろうと思うが、校庭にガンマ線の少しでも遮蔽効果のある透水シート(市販の防草シートなど)を敷き詰めてその上に汚染されていない砂などを5cmほどかさ上げして転圧して落ち着かせたらかなり空中線量は下がると思われるのだがどうなのだろう?100m四方の校庭でダンプ100台(砂の比重を2として500立米)の投入量になるが如何なものだろう?
除染法で専門家から上下の土の転換法も選択肢として言われたらしいのだが、くさいものに蓋の方法には反対だと、表土剥ぎに決まったようだが科学的論理が感情論に負けたような話である。

| 三品一成 | 2011/08/25 20:45 | URL |

Re: 学校校庭除染

三品一成様
いつもコメント感謝。
我が家もすべての水を地下水でまかなっているので、気が気でなく、放射性物質をとる浄水器をつけています。
せっかくの美味しい水が、蛇口から冷たい水を飲めなくなる日が来るとは!!!

ブログにのせました。

| Sakaino Komeko | 2011/08/31 02:46 | URL |

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| | 2011/09/24 22:07 | |

Re: タイトルなし

三品一成様
福島県民にとっては、放射能のことは朝から晩まで頭を離れませんよね。
同じ気持ちです。
私もいつも、変なことを書いている、考えているのではと気になります。
だからコメントはありがたいです。
これからも率直なご意見をどうぞお寄せください。

| Sakaino Komeko | 2011/09/25 06:37 | URL |

ある考察

放射能のジレンマ
避難地域に指定されない地域住民の中でも、他県に自主避難した人たちがいる。
避難区域は年間被曝量が20mシーベルトを超えると予想される地域の住民なのだが、20mシーベルトを超えない予想の地域住民も自己判断により汚染量の少ない他地域か他県へと自主避難している人たちがいる。
はたして、20mシーベルトが安全か否かは別として、避難するのは自主判断による行動という事になる。
この日本では自分で判断して自由に行動を選択できるのは当たり前でもある。
いくら政府が拡散した放射能のレベルが安全だと言っても、0でない限りはそこから避難する行動を選択してもだれも文句は言えないだろう。但し、自主避難したことにより発生する放射能以外のリスクを負うのは避難した人の責任でもある。かように日本は自由な民主主義の国である。
さて、福島県民であるならそれなりの放射能被曝(実際的、数値的には福島県民には限らない)があったわけだ。そもそも原発事故が起きなくても生きている限りは食品由来の放射能(カリウム40)を我々は身体に取り込んでいる。その体内の放射能量は情報元によりばらつきがあるが、一人当たり4000ベクレルから7000ベクレル程度とのことである。福島県人で、それなりの被曝をしているなら一人当たりの平均よりもわずかに多めの放射能量を取り込んでいる可能性がある。現にフランスに送って調べてもらったら子供の尿からセシウムが検出されたという事実がある。もちろん問題外の極めて少ない量である。
さて、ここで問題である。
他県に避難して他県の学校に通学した場合、福島からの避難民はわずかに放射能の量が体内に多く持っていると考えられる。
そのわずかの多さの放射能の量から出ているわずかに多めのガンマ線を避ける自由もあるはずである。
つまり、地元の学生は避難民を避ける自由もあるのではないだろうか?
決していじめなどではない避ける自由である。しかし、避けられた児童にとってはいじめ以外の何ものでもない。
その放射能による現実のリスクを科学的論理的に考えたらあまりにもばかばかしいことではある。
だが、そもそも避難した人たちは健康上問題のない汚染レベルだと言われても自主判断によって避難した人たちである。
避難した自分らを自主判断によって避ける人たちを非難できるのだろうか?
避難してきた自分達の論理は正しいが、我々を避ける人の論理は間違っていると?
チェリノブイリ原発事故による現実の最大の被害は放射能による実際的な健康被害よりも人々の感情による様々な被害(精神的な被害、差別の被害など)が多かったとの報告があるのです。
似たようなことに花火もあるし、橋桁もある。
このようなことは民主主義のコストなのだろうか?
それとも、大衆の科学的論理思考の欠如なのだろうか?
それとも、マスコミの市場原理主義の弊害だろうか?


| 三品一成 | 2011/10/27 19:55 | URL |

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| | 2011/10/27 20:08 | |

Re: ある考察

三品一成さま
いつも誠実なコメント、感謝。

私は、放射能の問題は、数値だけの問題ではないと考えています。
放射性物質に汚染したものでも、農業を守るために食べたい、食べなくてはと思うのも、その一例です。
実は数値の高低はあっても、いまや日本中で汚染されているわけなので、相身互いに助け合うことが大事と思います。
それに、日本中の原発がこうしたことになれば、安全なところなんかないのですからね。
明日はわが身なのです。

| Sakaino Komeko | 2011/10/28 13:38 | URL |

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| | 2011/11/14 18:35 | |

川俣町の裏山というか、町の北方に430mほどの低山がある。
町民には大変親しまれてきた里山であり、布引山と言う。
登山の対象とするには物足りないのだが、地図を見ていて無性に登りたくなった。なぜなら、布引山の地図上に記された三百田という地名と百枚田との地名がひどく気になってしまったからである。
それは、布引山からの沢筋に沿った山道の途中にある集落の地名であり、三百田は町から見て山の右側にある沢筋のずっと上流にある山の頂上近く、最後の集落である。ネット上で見る地図によれば数戸の家々が集落をなしていた。三百田の地名は沢筋に沿った棚田が由来だと思われ、その地名から思うに急な斜面に作られた小さな田が数多くあって、棚田を形成しているのだろう。
晩秋のある日、朝からとてもいい天気だった。
私は急に思い立ち、里山探検の友達に電話して都合を聞いた。
「あ、おれだけど、暇? もし暇だったら付き合ってくれ」
暇だということで、昼飯を早めに済ませて軽トラで迎えに行った。
友人を助手席にて地図を見てもらいながら(なんだこの車はナビがついてないのか、とか毒づいてる)川俣町から三百田へと向かった。
川俣町から布引山への道は林道倉ヶ作線だとか。道幅は狭いがいちおう舗装された林道だった。林道倉ヶ作線と立派な名称だが勾配の急な斜面を1kmほども行くと舗装は途切れてしまった。
砂利道の右側の沢筋を見ながら軽トラを走らせると、むかし田圃だった跡が見えてきた。
本当に狭い田圃跡である。2年間ほど休耕した感じの荒れた休耕田だった。
そして、集落?と言うには戸数が少なく3戸ほどしかなかった。
その3戸しかない集落の入り口で林道倉ヶ作線は終わった。
車を停め、ネット地図にあった布引山登山道を探した。
登山道を探す前に集落の一軒の家に立ち寄り声をかけたが、玄関に施錠してあり留守だった。
3戸のうち1戸は今は誰も住んでいないかと思われた。
なんとなく昔の道跡らしきものを見つけて登りだしたら、さきほど留守を確認した家の裏手に朽ち果てた家があった。
ひどく粗末なトタン葺きの小さな家で、風呂便所が別棟で家の前にある、昔のと言っても我々世代がガキだった頃の農家作りである。
その家を見たら、急にある感情が沸き起こってきた。
どのような家族が、どのような生活をして、生活の中で展開したであろう人生のドラマはどのようなものだったのだろう、たぶん私と同年代の人もいたかもしれない。
小さな家と、田圃跡と周りにある荒れ果てた桑畑跡にこの小さな家の家族達の貧しい生活ぶりが想像される。そしてその時代を記憶において共有できる私はたまらなく郷愁を覚えた。
郷愁に浸っている時間は短かった。
相棒は郷愁を感じるような気分ではなかったようだ。荒れた登山道と思しき道を登ってゆく。
かって桑畑だと思われるのは桑の木が野生化してやたらと大きくなっているのがなんとなく規則的に並んでいるからである。
登山道?これが?というほどに荒れに荒れた道跡である。すでに道跡などなくなり笹薮の中を“藪漕ぎ”なる登山用語で表現する登山であった。
しばらくして、もうこれ以上高い地点はないと思う最高地点に立った。
しかし、頂上も変わらず藪の中。こんなはずはない。なんてぇこった。
しばらく回りを散策(笹薮のなかを)したがさいてーの山頂だった。
変だ?こんなはずはないはずだ。山頂はべつにある。
しかし、こんなことであきらめる我々ではない。ならば別ルートで登山しよう。
川俣町中心部から見て布引山の左側のルートからの登山を試みた。
そこは百枚田の地名がある。川俣小学校の裏側から立ち上がる布引山は本当に裏山そのものである。
百枚田は市街地からすぐのところにあった。三百田の地形よりもずっと広く川俣市街地近く存在していた。
布引山への道は林道などではなく、中腹にあるテレビ塔へと続く整備された道だった。
道すがら、道沿いには桜の並木があり、とても風情を感じる道であった。
途中にある住宅はまったく田圃とか畑のイメージはなく高台にある勤め人の住宅の雰囲気であった。
最後の住宅を過ぎたら舗装は終わり、砂利道へと変わった。
砂利道を四駆にしてしばらく軽トラを走らせるとテレビ塔があるあたりで車の走行できる道は終わった。
ちょっとした空き地に車を停め、そこからは歩いた。
案内板によれば山頂まで20分だとか、ならば15分程度で山頂に到着しなければ自称健脚の誇りにキズがつく。
それいけドンドン。
ひーひー呼吸しながら急ぐのだが、途中で相棒は待ってくれ、盆栽にいいもみじがあったから採っていく、と待たされた。おれはその行動を黙認した。
結局16分ほどで山頂へ到着した。
そこは、雑草など刈り払われ管理された山頂に二つの祠が立っていた。
これこそが本当の山頂だと納得したのだが、先ほど迷ってしまったすえに辿りついた藪の中の山頂はどこなんだ?
それは謎のまま我々は帰途についた。帰宅時すでに暗かった。
少し、話が飛ぶ。
小ヶ坂という集落がある。
山間の小さな集落ではあるが、戸数は10戸を超えるだろう。
川俣町からずっと月館町寄りの国道349号線の側にある小島小学校から西へと山の中へ入るように舗装された道を辿ってゆく。
まもなく途中でまったく人家はなくなり、この先に人家はあるのだろうかとの不安に駆られる。渓谷的な沢筋には田圃などはなく、この上流に人家などあるはずないと思う間も無く、沢筋は穏かになって沢に沿って田圃が見えてくる。
休耕田などではない現役の田圃である。
この時期、稲刈りが終わって刈り取られた稲束は杭に掛けられ乾されていた。
そして、国道から入る事ほんの1.5kmくらいだろうか、人家が見えてきた。
そこには平野部の集落と変わらない今風な建築様式の住宅が点在していた。
貧しくはない集落のイメージである。
しかし、その経済基盤はどうみても田圃と畑だとは思われなかった。
この小ヶ坂集落の住人はほとんどが勤め人だろうと思われる。
今の日本の典型的な兼業農家、二世代同居の家庭が想像される。親はいまだ農業を生業として、息子らは近傍のオフィスなり工場へと勤めている。それを可能にするのは、車による通勤である。小ヶ坂集落は山の中とは言え、川俣町までほんの数kmの距離であるのだ。親がある程度の農業収入があって、息子に毎月の定収があれば、経済的には不自由しない家庭のありようだろう。
しかし、数十年前は集落経済のほとんどすべては農業に頼っていたはずである。
山間の集落の生活を決定的に変えたのは移動手段の変革である。
当たり前だが、自家用車の普及である。
日本において自家用車が山間の農山村の人々にも買えるようになったのは急激な日本経済の急成長であったことは論をまたない。
農業生産性にそれほどの上昇がなくても、商工業の高度経済 成長が農業生産物の販売単価を押し上げ、農山村の経済状況を激変させた。
たとえ農家の手元に現金がなくても、将来の限りない成長予測が車の購入を可能にしたのである。
さて、山間集落の人々の職場が近傍の工場やオフィスに変わる以前は昔の伝統や祭りなどは色濃く残っていた。
小ヶ坂の人々は集落の南にある里山である布引山を、別名鳴神堂(なりかみどう)と呼び、神事の対象として様々な行事が行われていた
そして自家用車など無かったその頃に小ヶ坂の人々は布引山の峠を越えて川俣町へと向かったのである。
小ヶ坂の集落から鳴神堂の峠を越えればもう川俣町は目の前にあった。
峠から見下ろせば足下には華やかな川俣町の町並みが大きく広がっていただろう。峠を下った最初の集落が三百田である。
勝手な想像であるが、小ヶ坂の遊び人は川俣町で夜を明し、地元へ鳴神堂の峠道を朝帰りする事もあっただろう。

| 三品一成 | 2011/11/14 18:37 | URL |

Re: タイトルなし

三品一成さま
コメントいつも感謝。山歩き紀行文、楽しく読みました。
人の営みの跡をたどる旅だったようですね。
私も、昔の暮らしに大きなロマンを感じます。
ちょっと飛びますが、縄文遺跡なども好きです。
木片に漆の跡がなどと知ると、それだけでワクワクです。
千枚田、百枚田、三百田、人間の手の営みが感じられて、惹かれます。
中国の千枚田では、両手に抱えられるくらいの田もあり、感激しました。
人間ってすごいですよね。
近くに住みながら、まったく考えても見ませんでした。
そんな素敵な旅ができるのですね。

| Sakaino Komeko | 2011/11/15 05:43 | URL |

汚染米
福島市大波地区の本年産米から暫定基準値を超えるセシウムが検出された。
検出された値は630ベクレル/kgと、基準値500ベクレル/kgを超えた値であった。
これで日本中は大騒ぎである。
さっそく福島県知事に対し、同地区で生産されたコメの出荷制限を指示ということになりました。さて、騒ぎはこれからが本番であります。
福島県の地方紙に今回の米のセシウム汚染に関して次のような事が載っていた。
「福島・大波のコメからセシウムQ&A」
その中で、
Q、基準値を超えたコメを万が一、口にしてしまっても大丈夫ですか。の問いに
A、専門家によると、セシウムは玄米の胚芽などぬかの部分に多く蓄積される傾向があり、精米すると約六割が除去されるそうです。実際、今回の汚染された福島市大波地区のコメも白米の状態では一キログラム当たり300ベクレルでした。厚生労働省は「仮に毎日食べたとしても直ちに健康に影響はない」としています。
毎度言われていることですが、直ちに健康に影響はないとの台詞です。
あとでゆっくり健康に影響があるかもしれないともとれます。
たぶん一般大衆は頭が悪いのでそう言ってなんとなく安心させながら、長期的には健康被害があるかもしれないことをそれとなく示唆するための言葉なのでしょう。
弱放射線被曝の場合の健康への影響で言われている、いわゆるLNT仮説からの健康影響度を言った方が国民は納得するのではないでしょうか。
ちょっと計算してみましょう。
平成20年における日本人のコメ消費量は4900g/月が平均消費量ですから、一日では163グラムになります。1年で58800gであり、年間での摂取放射能量は58.8kg×300=17640ベクレルです。(玄米食なら37044ベクレル)
成人の場合の1年間の内部被曝量は17640×1.3×0.00001=0.22932mシーベルトとなります。
(蛇足でありますが、胃検診でのX線被曝量は一回で0.6mシーベルト)
その0.22932mシーベルトの被曝量をLNT仮説に基づいて健康リスクを計算してみましょう。
LNT仮説とは弱放射線被曝量での健康リスクの考え方の一つです。
疫学的統計によれば放射線被曝量が100mから200mシーベルトを人体が浴びたとき癌の発症確率が通常を1とした場合に0.06上昇するとの統計値を元にそれ未満の統計に現れない揺らぎに埋没したリスク値を、被曝量0においてリスク0の基点から100mシーベルトで0.06のリスク値までを直線で表せるとの考え方です。その考え方はとても計算しやすいのでそれで計算してみます。
さて、0で0の基点から100で0.06までの直線のどこに0.22932は位置するか?
計算すれば年間被曝量0.22932mシーベルトでの癌発症確率は0.000137・・・という事です。う~ん、0.000137をどう見るかです。
リスク0.000137と言われても困ります。なにか対比するのはないのかい?
使い古された陳腐な対比でありますが、過剰塩分摂取、運動不足、喫煙、習慣的飲酒、野菜摂取不足、その他の生活習慣等々。それらに起因する癌の発症確率の上昇は0.000137とは比べ物にならないほど高いのです。
ほとんど対比するのもばかばかしくなります。例えば塩分の過剰摂取による癌発症確率は0.11から0.15にもなります。0.000137のほぼ1千倍です。
ああ、何をかいわんや。
それで大波地区のその高濃度?汚染された玄米は廃棄処分になったということです。何ともったいない、おれにくれといいたいところですが、日本における食品のセシウム汚染規制値が500ベクレル/kgですので仕方のないことです。
ついでに、EUでのコメを含む一般食品の規制値は1250ベクレル/kgであり、チェリノブイリ事故のあったウクライナではかなり規制値が細目にわたっています。コメが該当する品目はどれかわかりませんので、ジャガイモを例にとれば60ベクレル/kgであり、野生イチゴ、きのこ類は500ベクレル/kgだそうです。しかし、ご都合主義的だと思うのですが、同じきのこで乾燥きのこは2500ベクレル/kgだということです。
つまり、福島で言えば生柿なら500ベクレル、干し柿であるあんぽ柿なら2500ベクレルとするのと変わりません。
でもまあ、規制値を制定する行政側でもそれなりの苦労があるのでしょう。文句を垂れるのは簡単ですが、ま、仕方ありません。
思うのですが、ごく普通の一般人の放射能に関する意識レベルは2チャンネルの掲示板を覗いてみると、放射能の汚染レベルに関係なくひたすら放射能を怖がっているようです。
福島産のものならすべて排除するとの書き込みもありますから、科学的な論考などどうでも良くて、ひたすら感情に走っているように見受けられます。
もちろん、すべての人がそんなわけではありませんが、一部のメディアは大衆を怖がらせた方がより受けるとの編集方針があるのかも知れません。
我々一般大衆は放射線医学研究所にて研究しているわけではありませんから、すべての放射能に関する情報は新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、そしてネット等のメディアに依存しています。そこに流れているあらゆる情報の中から自分の感情に見合った情報だけを取捨選択して取り入れているわけです。
人によってはあの放射能レベルは健康に対して影響ないといくら言われても聞く耳などないのでしょう。一日20本タバコを吸う人が0.000137のリスクを怖がるのもまったく自由です。私としてはそれでいいのだとは思えません。

| 三品一成 | 2011/11/18 18:46 | URL |

Re: タイトルなし

三品一成さま
いつもコメント感謝。数字に強いですね。
私は、米はアルファ米に加工して、牛乳はチーズやバターに加工して、柿は酢や酒に加工する、そうしたシステムを作るべきだと考えています。捨てるための検査をやっていては、あまりにももったいない、能無しです。
汚染が見つかれば、加工に回す、市場には、できる限りゼロのものを出荷する。これを実行しない限り、生産者にも消費者にも幸せはきません。毎年続くことなのですから。

| Sakaino Komeko | 2011/11/19 02:07 | URL |

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| | 2011/11/22 21:16 | |

Re: タイトルなし

柿酢、簡単です。私は、ワインを造ろうと思って柿酢になってしまった体験があります。
がっかりでした。
要は、柿の糖度と温度です。糖度が低いと、発酵がすすみません。
砂糖を少し補うのが、失敗しないコツと思います。

| Sakaino Komeko | 2011/11/23 03:44 | URL |

ある一つの放射能除染法
福島県伊達地方において農地の天地返しを底堀り(訛って、そごぽり)と称する農耕法は、同一作目の連作による土地飽きした農地の底土と表土を入れ替えして新たな農地のように連作障害の土地を生き返させる農耕技術の一つです。
その技術の副次的な目的に表土中にある雑草の種子を農地の底深くへと埋めてやることにより雑草の発芽を抑制する事も大事な目的でもありました。
その農耕技術はそのまま、表土中の放射能を土中深くへと入れ替える事によりセシウムから放射されるガンマ線を汚染されていない土により遮断することが出来るとの推察から放射能の除染にも適用できると考えました。
すでにプラウ耕などによる天地返しは除染法の一つとして確立した技術の一つですが、残念ながら表土(作土)と中土と底土が交じり合い、思ったほどの線量の低下にはならなかったようです。
本技術は表土と中土と底土を丁寧に分けて、入れ替える昔ながらの農耕技術です。
もちろん、重機による作業も出来るはずです。
本技術は、初めに塹壕を掘るように始めます。巾40センチ(任意)深さ50センチ(任意)長さは制約がありますが(任意)、初めの塹壕を掘った土を表土と、中土、底土と分けて別途保管します。出来た塹壕に、次の塹壕堀りの表土を、塹壕の底に入れ、中土をその上に、底土を一番上にします。簡単に言えば土層の逆転です。
それを丁寧に続けて行き、目的の面積を完了したら、最後の塹壕に先ほどの保管していた表土を底にいれ中土と底土を上にして完成します。

汚染されていない土を汚染された土上に20センチ積み上げるごとに放射線量(ガンマ線)はほぼ半分に減衰していく実験結果があります。
つまり、50センチの塹壕を掘り、表土10センチを塹壕の底に埋め、その上40センチに汚染されていない土を埋め戻せばほぼ四分の一に放射線量は低下する結果となりました。塹壕の深さを70センチにして60センチ埋め戻せば八分の一に低下するはずです。80センチなら十六分の一です。
いちおう、私の実験においては面積は1.8m四方で、深さは40センチから50センチ程度でした。
そして、実験結果は
原発事故以後まったく手のつけていない状態の表土の線量値は1.216μsv/h
上記の除染法の実施後表土での線量値は0.321μsv/hと、約四分の一程度に除染されました。(線量計は地面に直接置いた)
尚、この技術として、耕作地の耕作可能な深さに制約されます。底土が砂利や岩盤では適用できません。

飯館村の水田は1m以上の掘削が可能であると聞いています。

現在、各家庭において、敷地内にホットスポットよりも極めて小面積(1平米程度)の言うなればマイクロスポットともいえる箇所で高い線量を示す傾向が出ています。
そのような小面積のスポットでの除染に極めて有効且つ最適かと思われます。

この技術は、放射線源の表土を隔離廃棄せずに土中に埋める技術ですのでその利点及び欠点があります。農地へ適用した場合農作物の根圏の範囲内であれば農作物に吸収される可能性もあります。しかし、作物の根圏よりも深く埋めるならば農作物への吸収移行係数から推察しても極めて低いものと確信しております。除染後の放射性廃棄物が発生しない利点は図り知れません。
しかし、汚染濃度の非常に高いところには適用できません。
年間5mシーベルトの積算被曝量を超えない環境を目標にすれば、線量値0.57μシーベルト/h以内に除染する必要があります。つまり、表土上2μシーベルト/hの線量値なら50センチ程度の底掘りによる表土入れ替えを行えば0.5μシーベルト程度に線量が低下するはずです。もっと低下させようと思えば1mほどの底堀りを行えば0.1μシーベルトまで低減させることが可能です。

| 三品一成 | 2011/11/27 18:48 | URL |

放射能よ何処へゆく
3月11日午後2時46分東日本大震災発生
3月12日1号機が水素爆発、ついで14日15日、3号機、2号機、4号機と連続した水素爆発による建屋の崩壊により大量の放射性物質が上空に舞い上がった。
そのときの放射性物質は主にヨウ素とセシウムでした。
大気中の放射性ヨウ素は、元素状あるいはメチルヨウ素として存在するか、固体粒子状エアロゾルとして存在すると考えられています。いずれも単独でいるのではなく、種々の微小浮遊物に付着していると考えられます。
つまりは、原子炉建屋の水素爆発により、放射性物質は種々の微小物質(いわゆるチリやホコリ)に付着して、上空に舞い上がり、当時(3月)の風向きではあまりない南東からの風により北西方向へと流れていった。放射性物質が上空を漂っているところで雨とか雪に見舞われて、地形条件などから不均等に地上に降りたのである。
放射性物質は地上に降り積もった。
地上に何があろうが、ミクロ的には均等に降り積もった。
グーグルアースの航空写真で見るように地上にある畑だろうが田圃だろうが、家の屋根だろうが、林だろうが原野だろうが、山だろうが、市街地だろうが降り積もった。局所的には上空から見た面積に均等に降り積もった。
露地栽培の野菜にも、冬枯れの落葉果樹畑にも降り積もった。
舞い降りた放射能の量は場所により偏って降り積もった。
上空から見えるように面積に対し、あたかも雪が降るように降り積もったのである。場所により不均等ではあっても、面積に比例して降り積もったのである。
降り積もった放射能は土壌の粘土質とか、枯れ草や落ち葉などの有機物と結びついた。あるいは、木々の樹皮などにも取り付いた。常緑樹の葉っぱにも。
降り積もった放射能は放射線を出し続けた。初期の放射線量の大部分はヨウ素からの放射線が占めていた。
福島市における原発事故以後の放射線量が公表されているので見てみよう。
場所を福島市御山町にある県北保険福祉事務所駐車場の値を見てみると下記の通りである。理論値はヨウ素の半減期からの予想値。

       実測値    理論値(ヨウ素のみ)単位はμシーベルト/h
3月15日   18.4     18.4
3月23日   5.19     9.2
3月31日   2.41     4.6
4月08日   1.98     2.3
4月16日   1.87     1.15
4月23日   1.70     0.575

放射線量の低下率はヨウ素の半減期以上に激減していくのがわかる。
しかし、4月半ばからは理論値よりも減り方が少なくなっていく。
それは、ヨウ素の半減期と、セシウムの半減期の違いが交差して、セシウムからの放射線量よりもヨウ素の放射線量が少なくなっていく過程かと思われます。
事故後、文科省が福島県の線量を車載の線量測定機器による測定結果をネット上に公表していました。すでにそのときには、飯館村の長泥地区とか、福島市の大波地区、伊達市の上小国地区の線量が高い事はネット上に公表済みでした。
さて、舞い降りた放射能は場所により大きく違いましたが、ミクロ的には面積に比例した量です。
東北地方の肉牛の精肉から規制値以上の放射能量が検出されたのはその後でしたが、原因は原発事故以後に田んぼから収集された稲藁の給餌が原因でした。このときにいわゆる専門家からその原因に言及されましたが、なんとも歯切れのわるいものでした。
農業の現場から見れば明らかな原因が見えていたのです。
それは、田圃に放置されたままの稲藁にダイレクトに降り注いだ放射能がそのまま収集後、給餌されたことです。
平面に降り注いだ放射能を計測する事も出来ますが、体積あたりのベクレル数を計測するのが現実的なようです。
福島県下で、田圃の土壌1kgあたりのベクレル数は早い段階で計測されたようでした。計測方法は円筒を土壌に地表から15センチの深さに突き刺して土壌の比重を1と見なして1ℓの土壌のセシウムベクレル数を1kgのベクレル数とするものです。
深さ15センチで1000立方センチの土壌の採取すると、地表面積は66.7平方センチです。つまり1平米(10000平方センチ)の150分の1です。
土壌1ℓの汚染量は土壌表面66.7平方センチの汚染量で決まるのです。
福島県下で米の作付け可の汚染ボーダーラインは土壌5000ベクレル/kg未満でした。その場合の最大土壌表面汚染量は750000ベクレル/平米です。
米の作付けのできる最大汚染量の田圃の上面に稲藁があったならその汚染レベルはどうでしょう?稲藁は10アール(1000平米)当たり500kgの収量ですので1kgの稲藁は2平米にあります。稲藁1kgの汚染量は1500000(150万)ベクレル/kg です。汚染レベルはかなりのものです。
比較的汚染の少なかった伊達市の梁川町の地区内のある田圃土壌が1300ベクレル/kgの汚染量でした。平米汚染では195000ベクレル/平米ですのでもしも稲藁が事故後に収集されたら390000ベクレル/kg汚染の稲藁となるのです。
給餌量にもよりますが、その稲藁を給餌された肉牛の精肉が500ベクレル/kgを超えるのは納得のいく事です。

さて、田圃土壌1kgあたり5000ベクレルを限度として米の作付けボーダーラインとしました。その根拠は5000ベクレルの土壌で米を栽培すれば米はどの程度に放射能を吸収移行するかです。
社団法人日本土壌肥料学会においての研究による移行係数は0.00021から0.012とのことですので、安全率をとって0.1としたわけです。ほとんど最大値のさらに10倍にまで安全率を採ったわけです。
つまり、5000ベクレルの10パーセントを吸収移行すれば500ベクレルとなるのが根拠でした。
吸収移行係数の最大値のさらに10倍を考慮してのボーダーライン、土壌汚染5000ベクレル/kg未満なら米の作付け可のお達しは納得のいく事でした。
しかし、残念ながら伊達市の一部の米から最大値1520ベクレル/kgの米が出てしまいました。
移行係数の最大値0.012として、1520ベクレルの米が産出されたならその土壌の汚染量は126667ベクレル/kg 以上でなければならない。そうでなければ移行係数の最大値を書き換えなければならない。
もしも、5000ベクレル/kg の汚染土壌から産出した米が1520ベクレル/kg なら、移行係数が0.304にもなるので田圃の除染には米を作ればいいことになる。
そうなら万々歳だ。
たぶん、それはありえない。
そこで考えられる事は、米の汚染ははたして稲の根っこからの吸収移行だけで説明できるのだろうかとの疑問である。もちろんその田圃の汚染量が5000ベクレル以内だったとは考えにくいが、126667ベクレル/kgもあるとは考えられない。
あくまで憶測ですが、規制値を超えた米を産出した田圃の立地条件はほとんどが山間の山すそに接した田圃だった。つまり山林に降り積もった放射能が降雨により雨水に溶け込み、田圃に流れ込んだと思われます。そして降雨の後の田圃の深水により稲の根っこからよりも茎葉から吸収移行したのではあるまいか?
その事は、畑作物が長雨によって根に障害がおこり土壌中の養分を根から吸収が難しくなったとき、茎葉に直接肥料成分を水で希釈散布して弱った作物を元気にする技術があります。ごくわずかの肥料成分がたちどころに作物に吸収され、元気を取り戻すのです。そのことと同じような現象が起こったとも考えられます。
さて、11月の25日の全国紙に阿武隈川のセシウム汚染量が掲載されていました。
阿武隈川一日のセシウム流出量が最大5250億ベクレルとの記事です。
考えればわかることですが、阿武隈川の汚染は阿武隈川に注ぐ阿武隈山系から流れれてくる中小河川の流水が汚染されているからです。
それはとりもなおさず、・・・山野における降雨による除染?の結果でもあります。
阿武隈川から汚染水が太平洋に流れた分だけ山野の汚染は少なくなっていく。
ですが、阿武隈川の水が汚染されていては生活上大きな問題です。
5250億ベクレル、途方もない汚染量です。阿武隈川の水を水道水として使っている宮城県県南地方ではとんでもないことです。
総量としての汚染量5250億ベクレルの健康リスクは水の汚染としてkg(ℓ)あたりの汚染を比較しなくては何もわかりません。
さて、阿武隈川は大河です。なんと一日当たりの流量は600万トンにもなります。5250億ベクレルのセシウムは600万トンに溶け込んで流れているのです。
5250億ベクレルの放射能量は600万トンをkgに変換してkgあたりの放射能量を計算しなければなりません。答えは8.75ベクレル/kgです。
意外にも厚生省が来年四月からの基準値と定めた飲料水の基準値10ベクレル/kgをクリアする汚染値です。
陸上に降り注いだ放射能による放射線量は明らかに低下しています。半減期の短いセシウム134(2年)が減っているだけでなく、天候による(主に降雨)流出が主な原因でしょう。
阿武隈川での放射能流出量を調査依頼したのは文科省ですが、京都大や筑波大が実地での調査を行ったわけです。525億ベクレルの流出量は8月での調査だったそうですが、その後の流出量の変化はどうなったのでしょう?9月10月でも変わらなかったのか、増えたのか、減少しつつあるのかは非常に興味のあることです。
阿武隈川への放射能拡散はそのまま陸地での放射能の減少へと繫がります。
もし、8月よりも時間経過とともに減少しつつあるのなら、降雨によって流れる状態の放射能はだいぶ流れ去り、残っているのは降雨によって流れにくい状態の放射能(大部分)が残留していると考えられます。
今年の福島産農産物の放射能量はたいへん問題になりました。桃で60ベクレル程度でしたが、ものによっては500ベクレル超、米に至っては1500ベクレル超のものまでありました。
それらの汚染は根からの吸収移行よりも、果樹なら樹皮に取り付いた放射能が降雨とともに果実や茎葉へと流れて吸収されたと考えた方が論理的です。
なぜなら、土壌の汚染は土壌表面数センチに止まっているとのことですので、果樹の根張りの根圏は汚染されていないからです。
もしも、阿武隈川の放射能汚染量が減少しているのなら来年の農産物の汚染量は今年をかなり下回ると考えられます。
果樹を汚染した樹皮などに取り付いた放射能のうち流れやすい状態の放射能はその大部分が流れ去ったとも考えられるからです。
来年の事は、来年にならないと分かりません・・・


| 三品一成 | 2011/12/26 17:20 | URL |

Re: タイトルなし

数字に強い三品さま、
コメント感謝。
5250億ベクレルのセシウムは600万トンに溶け込んで流れているとの指摘、
さすが!
母なる川が汚染を包み込み、人々を守ってくれていると思えています。

| Sakaino Komeko | 2011/12/27 06:24 | URL |

食ってしまえ!放射能

食ってしまえ放射能
福島県の中通で狩られた猪肉の放射能がかなり高いと報道されていた。なんとセシウムが最大で14600ベクレル/kgも検出されたとのことだった。
今年の4月からは食品の規制値が100ベクレル/kg未満に変更されるはず。その146倍もの汚染値はかなり高い汚染量である。
今年私は私的なルートで猪肉をゲットしたが、たいした量ではない。375g程度の量である。
食品暫定規制値500ベクレル/kgはるかにオーバーしていると思われる猪肉。
どうしたものか?
とりあえず、文科省の健康ホットラインに電話して聞いてみることにした。
「もしもし、福島県人ですが、私的に入手した猪肉を自己責任においてかってに食することは出来ますか?福島県からは行政指導的に食べることは遠慮するようにとのお達しです」
「あ、もちろん食べないでください」
「そうですか もしも猪肉の汚染量が14600ベクレル/kgだとしても375g食べても5475ベクレルですし、その場合の人体の被曝線量は0.07mシーベルトと計算しました、汚染猪肉を食べるのは今年それだけだと思います」
「しかし、計算上はほとんど問題なくても県から食べないでくださいと言っているのなら食べない方が・・・」
とまあ、そんなやり取りがありました。本当の事を言えば健康ホットラインに出てくれた担当者はほんとうに話の分かる人でした。立場上言えることと、言えないことは私にも理解できるので上記のように書いておきます。
さて、私が食べた0.07mシーベルトは山崎直子さんの宇宙飛行中に浴びた線量約15mシーベルトの200分の1よりも少ないのである。
(165日滞在の古川さんと対比すれば2200分の1)
しかも、彼女は宇宙から帰還して後、健康な第二子を授かっているのです。
まさか、彼女は放射線の危険性を知らないので二番目の子を授かったとか?
まさか、彼女は東大の大学院卒なのだ。放射線の危険性を数値で理解しているからこその行動だと思われる。
さて、私は蛮勇を奮って猪肉を焼肉にして食べました。あはははっは・・・
子供を授かろうという女性の200分の1よりも少ない線量を食うのに蛮勇を奮うこともないのですが、福島の男といえども、なぜかほとんど誰も食べません。
「おめーら、股間にぶら下がってねーのかよ」
えーー名誉のために、福島の男を代表して言っておきます。
「何よりもコンプライアンス重視の精神ですので」

| 三品一成 | 2012/01/09 22:13 | URL |

Re: 食ってしまえ!放射能

> 食ってしまえ放射能
> 福島県の中通で狩られた猪肉の放射能がかなり高いと報道されていた。なんとセシウムが最大で14600ベクレル/kgも検出されたとのことだった。
> 今年の4月からは食品の規制値が100ベクレル/kg未満に変更されるはず。その146倍もの汚染値はかなり高い汚染量である。
> 今年私は私的なルートで猪肉をゲットしたが、たいした量ではない。375g程度の量である。
> 食品暫定規制値500ベクレル/kgはるかにオーバーしていると思われる猪肉。
> どうしたものか?
> とりあえず、文科省の健康ホットラインに電話して聞いてみることにした。
> 「もしもし、福島県人ですが、私的に入手した猪肉を自己責任においてかってに食することは出来ますか?福島県からは行政指導的に食べることは遠慮するようにとのお達しです」
> 「あ、もちろん食べないでください」
> 「そうですか もしも猪肉の汚染量が14600ベクレル/kgだとしても375g食べても5475ベクレルですし、その場合の人体の被曝線量は0.07mシーベルトと計算しました、汚染猪肉を食べるのは今年それだけだと思います」
> 「しかし、計算上はほとんど問題なくても県から食べないでくださいと言っているのなら食べない方が・・・」
> とまあ、そんなやり取りがありました。本当の事を言えば健康ホットラインに出てくれた担当者はほんとうに話の分かる人でした。立場上言えることと、言えないことは私にも理解できるので上記のように書いておきます。
> さて、私が食べた0.07mシーベルトは山崎直子さんの宇宙飛行中に浴びた線量約15mシーベルトの200分の1よりも少ないのである。
> (165日滞在の古川さんと対比すれば2200分の1)
> しかも、彼女は宇宙から帰還して後、健康な第二子を授かっているのです。
> まさか、彼女は放射線の危険性を知らないので二番目の子を授かったとか?
> まさか、彼女は東大の大学院卒なのだ。放射線の危険性を数値で理解しているからこその行動だと思われる。
> さて、私は蛮勇を奮って猪肉を焼肉にして食べました。あはははっは・・・
> 子供を授かろうという女性の200分の1よりも少ない線量を食うのに蛮勇を奮うこともないのですが、福島の男といえども、なぜかほとんど誰も食べません。
> 「おめーら、股間にぶら下がってねーのかよ」
> えーー名誉のために、福島の男を代表して言っておきます。
> 「何よりもコンプライアンス重視の精神ですので」

三品さま
まさに蛮勇のニュース。
他に食べるものもあるのに、何でまた!
と思う人が多いはず。
でも、福島賢人ならわかるはず。
うるせえ、つべこべ言ってんじゃねえよ!食べてやろうじゃないか!!
猪肉、自己責任で食えばいいべ。こちトラは皆、法律どおりにいきているんだよお。

| Sakaino Komeko | 2012/01/10 03:53 | URL |

日本の原風景
日本の原風景をキーワードにネット検索すると249万件ヒットした。
日本の原風景ってなんだろう?
日本の原風景の画像に絞って見てみると、かなり決定的な傾向が見られた。
第一に山間の田圃、第二に萱葺き屋根の農家でほとんど決まりである。他には桜もあるが、とにかく原風景として山間の田圃と萱葺き屋根の農家が原風景の半分以上を占めていた。
その画像に日本の原風景を見ることに違和感はない。それらの画像を見ているとこれこそ日本だなと、納得してしまう。
なんでだろう?
原風景としての田圃は広い大きな田圃ではない。小さく区分けされた棚田の風景がほとんどであり、里山に囲まれた美しい風景である。
極めて情緒的な風景であるが、今、その山間の山村を歩いてみると現実の中の山村の風景が見えてくる。

阿武隈山系の山間にある小ヶ坂は戸数20戸ほどの小さな集落である。
集落の南に布引山という標高430mほどの里山があり、その山の向こう側に阿武隈山系の山間にある町としては大きな川俣町がある。
小ヶ坂から布引山を越えて川俣町の中心部まで直線距離だとわずか2.5kmほどの近距離ではあるが峠までの標高差は200mもあり、かなり急な登りである。
ほんの少し前、日本にモータリゼーションが到来する前の40年ほど前まで小ヶ坂から川俣町への道筋は徒歩による布引山の峠越えが当たり前の交通手段だったはずである。
今現在(平成24年)小ヶ坂の人達が川俣町へ行くのに布引山の峠越えをする人は皆無だろう。
私としては伊達市の人間なので小ヶ坂にはまったくゆかりはないが、布引山の峠越えをしてみたくなった。
私が育った畑の中の集落には遊び場としての森も林も山も無かったので、どんぐりやら栗拾いの出来る里山で遊べる山間の子供たちには憧れと嫉妬心を持っていた。
畑と違い、自由に遊べるフィールドが里山であり、里山で遊ぶ事は願望であった。それが布引山峠越えの動機といえば動機である。
私の趣味の一つでもある里山登山の相棒であるH氏に同行を願い、快諾を得て1月10日(私の誕生日)に布引山峠越えは決行された。
布引山峠越えは川俣町側である山の南側から行く事にして、さらに前回登山のときに笹薮に阻まれて道に迷い、布引山山頂にたどり着けなかった東側からのルートに挑戦した。
もっとも、布引山で迷うなど地元の人には笑われるのがおちだろう。
三百田に車を停め前回同様のルートを辿り、前回に迷った笹薮に入り込んだ。
迷う心配はしなかったが、この藪こぎは半端ではない。まったく見通しの効かない藪の中でコンパスと地形図とを頼りに藪を掻き分けながら進んでいくと、藪こぎの進行方向と平行したかなり整備された登山道を見つけた。
藪を出て整備された登山道を行けばあっという間に山頂へと行き着いた。
すでに前回登山で西側ルートから山頂三角点は征服済みであった。
とても整備された山頂で相棒は車の運転のない気安さからなんと、リュックから200mlの日本酒を取り出して飲みだした。この整備された登山道だから多少酩酊気味でも安全に歩けるだろうとは思うが缶ビール一本くらいにとどめておけばいいのにと、私は飲めない悔しさ?からそう思った。
さて、かいた汗が体を冷やし始めたので登山道を戻り、小ヶ坂への登山道分岐点へと歩いた。分岐点から小ヶ坂への道は始めこそ歩きやすかったが徐々に急な下り道へと変わってゆく。相棒は酔って饒舌になりながら、ときおりつまずきながらも転ばずに歩を進めて行く。しばらく下っていくと、民家の屋根が見えてきた。同時に山道は道でなくなって耕作放棄の畑の中を歩いていた。
ここまでくれば、集落の中を走る道路まで行き着きたくなり、数軒の民家と畑を眺めながら歩を進めた。
集落の中心を走る舗装道路まで行き着いて我々は歩みを止めた。
集落は広瀬川の支流である川筋に沿って家々が点在していて、川筋に流れ込む沢筋にそって棚田が作られていた。
山間ではあるが開けた視界の中に6、7軒の農家が見えたのだが、小ヶ坂集落はひっそりと静まり返っていた。
まるで、ゴーストタウン?のように人の気配がない。
こんにちはと、一軒一軒訪ね歩いて確認したわけではないので家の中にはお年寄りが留守番をしているのかもしれない。
家の周りの畑にはネギなどの冬野菜が作られているので生活の雰囲気は感じられるが、自給的な生産以上の経済的な生産量があるとはとても感じられない。
この集落は日本の原風景としてのカレンダーの絵柄にはとても似合っているのだが、生活上の利便性から見れば決して良くはない。
この集落の住人はだれもがもっと便利な場所に移り住みたいと思っているはずではないが、誰もがこの小ヶ坂からは出て行きたくないと思っているわけでもない。まわりくどくて分かりにくい言い回しだが、便利なところに移り住みたいと願う人と、ここからは何処へも行きたくないと思う人それぞれだろうと思うし、そのように思うことは誰も干渉できない。
問題は、時の流れの中で、山間の集落に住むことの利益、利便性が損なわれてしまったことだろう。
山間の沢筋は食料生産の場である田圃の利水と、生活水の確保において平野部とは比較にならないほど優位だったし、里山はエネルギーとしての薪炭の供給元でもあった。
山間に住むことは食料と用水の生産と確保、エネルギーの供給確保、そしてなにより仕事場が生活の場にあったのだ。
誤解を恐れずに例えれば、山間に住む事は公務員が都会の真ん中の公務員宿舎に住むようなものだったはずである。
現在の経済的な観点から見れば、山間の集落はほとんど価値がないとも言えるだろう。多分だが、農地50アール付きで農家住宅を売りに出してもほとんど値がつかないのではないだろうか。もしかすると都会の田舎大好きな人が買う可能性はあるかもしれない。
しかし・・・
世の中の流れは誰も読めない。不思議なものである、世の中の流れは大衆の総意が決めるのに、流れの行く先を読むことは出来ない。
小ヶ坂集落の日没は早そうだ。3時をまわり陽が傾むいて西側の山に近づいているのを見て、相棒へ目で合図して帰ることにした。
そのとき、トヨタのプリウスがこちらに近づいてきた。我々を追い抜いて民家の角を曲がりその家の玄関前で停車し、おじいさんが降りてきた。
その車のドアに印刷物が貼ってあり、小島のなんとかタクシー?とか書いてあった。つまり、行政側の住民サービスの一環で、格安料金の行政タクシーだと思われた。
小ヶ坂の住人に初めて出会ったので声をかけてみた。
「こんにちは、布引山から下りてきたのですが、上り口は別にありますか?」
とても気のよさそうなおじいさんは「はい、こんにちは、別な上り口もあるが、ここから登るのが普通だよ」
「ここは小ヶ坂ですよね、何戸くらいあるんですか?」「うん、22戸だな あんたら何処から来なさった?」「梁川町からです」「・・・?」
どうも梁川町はあまり有名ではないらしい。「じゃあどうもでした」そう言って別れようとしたら「どうもありがとうございました」と言われてしまった。
あわてて、「いえ、こちらこそありがとうございました」
よそ者である我々を丁寧に遇する心はおじいさんの個人的な性格なのだろうか?
たしか、12月始め頃NHKのEテレの番組で、どこかの大学教授が今回の震災における日本人の素晴らしい秩序だった行動について言っていた。
諸外国ではこのような日本人の行動は人類の模範だとか、そのような日本人の規範意識というか、全体の秩序を優先させる日本人の特質は有史以前よりの日本における稲作文化がそのような日本人の特質を作ったのではないかと言っていた。日本人が棚田に原風景を感じるのはそういう事なのかも知れない。

陽が傾きかけた山道を我々は急ぎ足で登り始めた。登り始めの時間を記憶してどれくらいで峠まで辿れるのか?登り始めの急坂で早くも息が切れてきた。
いくぶんペースを落として、楽に話ができるペースに切り替えた。山道の回りの木々は雑木であり、ときおり山栗のイガが落ちていた。
それにしても、距離が短くても標高差200mの峠越えはかなり厳しいものだ。
我々の登坂ペースはそれなりに速かったようで車の停めてある三百田まで35分くらいで着いてしまった。ここ三百田から川俣町の中心部まで25分あれば楽勝のはず、小ヶ坂の住人は布引山の峠越えで川俣町まで片道1時間ほどで着いたと思われる。
軽トラでの帰り道、この次は何処の里山に登ろうかとか話をしながら桑折町まで相棒を送った。
ふと思いついたのだが、山間の集落に住む事の絶対的な優位性を考えた。
今回のM9レベルの震災と原発事故は想定外の大災害とはいえ、いかに想定外だとしてもそれに対処しなければならない。今回の大事故に紛れて想定することを忘れてしまったが、致死性が高く、伝染性の強い新型インフルエンザが流行したらそれこそ震災、原発事故以上の大災害になる可能性がおおいにあるのだ。
病院スタッフへの感染拡大を恐れた病院が閉鎖して機能を喪失することさえ考えられる。
病院どころか行政そのものがストップする可能性もある。
もしもの場合、政府による緊急事態宣言が出された場合、外出自粛要請、集会等の禁止など、強制力をもった措置をとれるような法制を施行するらしい。
そのような場合、自給能力の高い山間の集落はインフルエンザのような伝染性の強い病原体から自主的に隔離できる立地性にあると言えるし、長い期間、外界と断絶しても生活可能だろう。
世の中、決して経済性だけで価値判断できるものではないようだ。

| 三品一成 | 2012/01/14 18:28 | URL |

Re: タイトルなし

三品さま

日本の原風景は、もう思い出とかではなく、血の中に、遺伝子の中に組み込まれていると思います。
コンクリートの家で育った私が、この古民家に懐かしさや愛おしさを感じるのも、遺伝子からと思います。

この震災後に、「ふるさと」の歌を歌うと、涙が止まらなくなる、という人に何人も会いました。
この歌だけは、歌えないという人もいました。

里山登りの文章、私も一緒に登っているような感覚で読みました。
ウイルスの流行の話は、すごいですね。
でも、そうしたひがくるかもしれません。

| Sakaino Komeko | 2012/01/16 13:48 | URL |

今年の放射能汚染予測?

今年の放射能汚染予測
去年の年末、伊達市某地区産の玄米からセシウムが基準値超えの発表がありました。
個人的な情報ルートからその田圃の場所を知ったのでさっそく現場に行って見てきました。
その田圃の特徴は山間にあり、山からのしぼり水をため池に引き入れた後に田圃の用水に使用していたようです。
そのため池を利用している田圃は一枚だけではなく、10枚ほどありましたが、基準値超えの玄米は一戸の農家が生産した玄米から出ました。

福島県と農水省の共同で基準値超えの原因調査を行って去年の末頃に要因の解析結果の中間報告が発表になりました。
調査の項目としては
土壌中のセシウム量(鉛直分布)、化学的組成、物理性、環境放射線量、用水の水源、それに農家戸別の水田管理方法などなど。それに田圃の周りの環境等。
そしてそれらと、玄米汚染濃度との関係

なんと言っても、田圃土壌のセシウム量は絶対的な要因だと考えられる。
しかし、土壌中のセシウム量と玄米のセシウム量に相関は見られない。
んなばかな!しかし、発表された調査データはそのとおりである。
調査によると土壌中のカリウム濃度が高い田圃では玄米のセシウム量が少なくなる傾向があるようだ。あくまで、「あるようだ。」
つまり、セシウムとカリウムは稲が吸収するのに競合関係にあるのでカリウム濃度の高い田圃はカリウムを吸収して、セシウムはあまり吸収されないとの納得のいく理論である。つまり、土壌中のカリウム量と、玄米のセシウム量は逆相関の関係にあるというわけだ。
報告には玄米のセシウム汚染量と土壌のセシウム汚染量の相関図と別にカリウムとの逆相関を表すグラフが添付されていた。
報告の中で、土壌セシウム濃度と玄米セシウム濃度の相関関係は見られないとの指摘があるとおり、グラフに表された縦軸に玄米のセシウム濃度、横軸に土壌のセシウム濃度のグラフのプロットを見るとまるでてんでんバラバラでした。
土壌中のカリウム濃度が高ければ、玄米のセシウム濃度は低い傾向があると見られるグラフはそういえばそうかもしれない程度の逆相関図になっていましたが、意地悪な見方をして、玄米のセシウム濃度が500ベクレル/kgを下回るデータをグラフ上にプロットしなければやはりてんでんバラバラにしか見えません。
私は統計的な手法に関して素人ですが、土壌セシウム濃度を分子にして土壌カリウム濃度を分母にした数値、つまり相関と逆相関を圧縮した数値と玄米のセシウム濃度の相関図を作ってみましたが、やはりてんでんバラバラで関係は見られませんでした。
しかし、グラフ上で相関が見られなくても関係があるのはまちがいありません。
日本肥料学会による土壌から水稲へのセシウム移行係数を見てみると、
0.012~0.00021という数値となっています。
移行係数の最大値である0.012と、規制値オーバーの玄米を産出した田圃のうち最大汚染土壌だった11660ベクレル/kgを掛け合わせると、139.92ベクレル/kg程度の汚染玄米産出の計算値となります。
つまりもっとも汚染された田圃で、セシウムを最大に吸収移行しても、140ベクレル/kg程度の汚染と計算されるのです。
考えられることは、もしかすると水稲の根から土壌中のセシウムが吸収移行された以外の原因があるのかも知れません。
それから、肥料学会による移行係数の巾がありすぎますが、土壌の物理要因、化学要因などが複雑に絡み合っての数値巾だと思われます、土壌中のカリウム濃度は移行係数の巾の中に折込済みの数値だとも考えられます。
今までの基準値オーバー玄米を産出した田圃にはある傾向がありました。
環境中の放射能が高い傾向です。
空中線量が1.4μシーベルト/hを超えていることと、狭い山間の田圃であり、用水が山からの絞り水などであることが共通項でした。しかし、例外もあるようです。
環境汚染レベルと、山からの絞り水の汚染は比例関係と考えられます。
推論ですが、土壌汚染値よりも用水の汚染レベルが大きな要因だったのではないでしょうか?
つまり、稲の根からの吸収移行よりも、田水から茎葉へと移行したのが大きな要因だったのではないか?
土壌汚染濃度と玄米の汚染濃度の相関が見られないのは土壌汚染の絶対量が小さくて汚染と移行の相関が統計上のゆらぎに埋没してしまったのではないか?そのことは移行係数から見てもそう考えられます。
もしも、その推論が当たっているなら今年の稲作への影響はどうなるのだろうか?
去年の水稲の生育中において、山からの絞り水がどれほどのセシウム汚染濃度だったかのデータはないようです。今年の稲作期間中の用水の汚染濃度が去年よりも高くなるか、低くなるのか 24年産玄米の汚染濃度へ決定的な影響を与えることになると思われます。
まったく勝手な推論ですが、降雨による山などからのセシウムの流れ出しはピークを過ぎたのではないかと思われますが、もしそうであれば24年産玄米の汚染濃度はずっと小さくなると予想します。
しかし、違った予想も出来ます。
山の落ち葉に取り付いた放射性物質が一冬の間に雪解け水にじわじわと溶け込んで大量にため池に流れ込み、高濃度に汚染された用水が田圃に使われて、玄米が高濃度に汚染されるかもしれません。
結局、八卦か?

| 三品一成 | 2012/01/29 19:13 | URL |

Re: 今年の放射能汚染予測?

三品さま
コメント感謝。
田んぼ、畑、当たり前のように収穫を享受してきましたが、ものすごく多様な多種の要素で成長、収穫ができていたわけですね。どの要素が、なんていっても、特定できないわけですね。
当たるも八卦、当たらぬも八卦というよりも、測定して、高い数値のものは、焼酎を製造というように、振り分ければいいだけのこと、と私には思えるのです

| Sakaino Komeko | 2012/02/01 05:07 | URL |

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| | 2012/02/01 18:04 | |

Re: タイトルなし

三品さま
コメント感謝。
広い心どころか、
偏っていることでは、人に負けない自信があります。
こちらこそ、
偏ったブログにお付き合いいただき、感謝

| Sakaino Komeko | 2012/02/01 19:54 | URL |

赤岩駅

奥羽本線赤岩駅
大笹生庭坂の山中に阿武隈川支流の松川を挟んで北側に奥羽線赤岩駅があり、南の対岸の河川敷の高みにイラ窪集落跡と、そのすぐ南の山の頂にすでに廃村になってしまった李平(すももだいら)宿場跡がある。
昭和60年?頃まではイラ窪にも数戸の家族が住んでいたのだが、現在は誰も住んでいない。
そして、駅北側の高台は戦後開拓村である大平集落がある。かっては三十数戸の開拓家族が生活していたのだが、現在はほんの数軒だけが残っているだけであり、将来の廃村は約束されたようなものである。
赤岩駅周辺の三つの集落は時代の流れとともに、二つは廃村になり、残る大平地区も同じ運命を辿るのだろうか?
三つの集落は同時期に存在したというよりは李平からエラ窪、そして大平へと変遷していった。そして、赤岩駅は三つの集落の変遷を見続けてきた。
李平は福島と米沢を結ぶ米沢街道の宿場であった。
慶長十八年(1613年)に米沢藩・上杉家の家臣、阿部薩摩によって宿場として開かれた。
米沢街道は福島と米沢を結ぶ街道であるが、歴史と由緒ある街道で米沢藩の参勤交代にも使われ、その距離は三十数キロ程度で長くはないが、奥羽山脈の急峻な地形を行く険しい街道であった。
宿場としては福島側から庭坂宿から李平宿、そして板谷宿へと三つの宿場があり、当時はかなりの賑わいがあった。
李平宿についてのエピソードとして、あの忠臣蔵の赤穂浪士・大野九郎兵衛が潜伏していたとの言い伝えがあり、山形県側の板谷峠には大野九郎兵衛の供養碑がある。そして、ローカルな事だが、知る人ぞ知る西根堰用水の開通に大きく関わった古河善兵衛が米沢藩主より召喚を受け、馬上切腹した地でもある。
その重要な街道であった米沢街道は明治18年に開通した福島と米沢を結ぶ万世大路に取って代わられ次第に廃れていく。
万世大路は米沢街道の北側4kmほどを平行しており、道幅も荷馬車が通れるが米沢街道は荷駄程度だった。
しかし、奥羽本線の施設工事が始まると李平も活気を取り戻し、奥羽本線の福島米沢間が開通するまで賑わったようである。
奥羽本線のルートは米沢街道のルートを、なぞるように街道北側をつかず離れずに施設されている。
明治32年に奥羽本線福島米沢間は開通した。
米沢街道はますます街道としての有用性を失っていくのだが、奥羽線開通2年後の明治35年に落ち目の李平宿は大火に見舞われその大半を焼失してしまう。
街道宿場としての機能を失い、村人達は炭焼きなどで生計を立てた。
李平の村人達は去る者、残る者、そして赤岩駅を向こう岸に見る阿武隈川支流松川の河川敷のイラ草生える窪地から名づけられた地名、イラ窪へ棲家を移す家族もいた。その中にはかっての参勤交代の折の本陣の宿を供した家柄の家族もいたのである。
イラ窪は山中とは言え松川の対岸に奥羽線の赤岩駅がある交通利便性の高い集落だったので李平にすべての住人がいなくなった大正7年以降、なんと昭和60年?(1980年半ば)まで存続していた。現在でも廃屋は残り、家電製品の冷蔵庫、洗濯機が残されている。(おまけに一升瓶やらビール瓶も)
その地は私有地なので法的には許可なく立ち入りは出来ない。
赤岩駅のエポックメーキングな出来事は大平地区の終戦引揚者達による開拓入植だろう。
大平地区の開拓村が出来るまで赤岩駅の利用者はイラ窪集落の数戸の住人だけだったのだが、大平への開拓入植により一気に三十数戸の村ができたのである。その子弟のために庭坂小学校大平分校も作られた。
そして、赤岩駅の駅員のために駅構内に宿舎も作られたのである。
赤岩駅が繁栄した期間はそれほど長くはなかった。大平地区の人口減少が時を追うごとに進み、駅利用の人数は減っていった。
そして、昭和59年に駅は無人化された。そしてイラ窪にも人はいなくなった。
平成2年には山形新幹線が運行されるようになり、赤岩駅の売りでもあったスイッチバックは廃止され、大平の分校は廃校となった。
大平地区で生まれ育ったのは団塊の世代以降の世代である。
大平地区をふるさととする世代は都会へと旅立ったのだが、都会生活に疲れて心を癒すために赤岩駅に降り立つ人もいただろう。
その心情を歌った歌をサイトで見つけたので紹介しよう。

独り降り立つふるさとの 冬の駅は人影も無く
過ぎ行く列車を見送れば   たった独りの影法師
光受けてあの日の記憶  探してみるけれども
雪に埋れたホームには 冷たい風が吹きぬける
力の限りあの街角で
生きてきたけど忘れられない
風よ 花よ山影よ たたずめば 懐かしい香り
冬枯れの木立見上げては あの日の春を探すけれど
人影絶えたホームでは 錆びたベンチが泣いている
雪に舞散る枯葉達 冬に枯れる古木達に
帰り道を聞くけれど 冷たい風に揺れるだけ
どこへ帰ろう何に会おう 迷い歩けば雪影寂しい
涙で霞むふるさとの 変わり果てた姿
あの日の笑顔あの日の歌は 時に流れた幻と言っている
街へ街へ戻りなさいと 懐かしい山が微笑む
振り向かないで歩きなさいと 懐かしい空がささやく

作者はブログを開設しているkenという人です。
この歌、中島みゆきの「ホームにて」がベースである。
ふるさとへ帰る事はない、都会へ戻りなさいということのようだ。
ふるさとは遠くから見守っているのだから。


| 三品 | 2012/03/08 20:44 | URL |

Re: 赤岩駅

三品様
コメント感謝。
藤沢周平の本を読んでいると、いつもこの米沢街道の往復が出てきて、旅心をくすぐります。
古民家に暮らす前、どの集落だったか、1軒の家を皆で借りて、たまに集まって食事をしたりして古民家暮らしを楽しんだ時期がありました。
「故郷は遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの

まさに、この心境ですね。

| Sakaino Komeko | 2012/03/09 05:19 | URL |

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| | 2012/05/16 21:39 | |

Re: おひさしぶりです

三品さま
山などもご無沙汰なのでしょうか。
でも忙しいのはいいことですね。死ぬまで忙しく働いていたいと、思うこのごろです。
そして働くのに一番適しているのが農作業。
すがすがしい環境で、かぐわしい香りに包まれて、年齢制限なく働けます。
私も連日草取りに追われていますが、畑をあきらめた分、ラクかな。
ラジオを聴いていただいて感謝。

| Sakaino Komeko | 2012/05/17 15:06 | URL |

お久しぶりです

こんにちは、本当にお久しぶりです。三品です。
いかがお過ごしでしょうか?いつか是非お会いしてみたいです。

| 伊達ノーミン | 2017/02/20 21:06 | URL | ≫ EDIT















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